昭和40年05月29日 朝の御理解



 進むとか信心が成長するとかと、というのは人物もそれだけ変わっていかなければならん。信心が只その分かっていくというだけでは駄目。言うなら横縦揃うて背だけ大きくなったら、横縦揃うて成長していかなければいけん。信心が変って行くんですから、矢張りおかげも変わっていかなければいけない。信心が立派になっていくんですからおかげも矢張り立派になっていかなければいけない。でないならば只信心が分かっていきよるだけで、ほんとに信心が成長していきよるとは言えない事になる。
 そこで私はあの信心がこう一段一段進んで行くと言う事はね、信心はこの一つ一つやはり改まって行くと言う事だと思う。一つ一つこの改まっていくという。一つ一つそのおかげを頂いていくというのでなかならければ、何年信心しておりますとか、信心が高者になったというだけではならん。何年信心さして頂いておるうちに、何段階信心が進んだと、何段階、人間が変わって来たとこう言う事にならなければ、信心が変わったとも、成長したとも言う事は言えないと、私は思うんですね。
 昨日の昨日じゃない、今朝方私御夢に面白い御夢を頂いたんです。あっこの障子を入って来るんですよある人が。ようと見た所がその〇〇さんなんです。所がそのあそこのいっぱい皆入って来る様な大きな、聖徳太子を連れて来とうとです。聖徳太子にも綱をつけんばかりのようにしてから、それが強引に御広前の中に押し込もうとこうしておる。その連れて来ておるというか例えば、綱を付けてこんばかりにしてその来ておるその人の様子を見てみると、そのあぁあの人はあの人だと言う事は。
 分からないからけれどもです、もうなんとも言えんその見苦しい姿。どうも足はチンバのように、せむしのようであり顔はなんかびっちゃげた様な格好しておるのであり、それなりに汚れこけておると言う訳なんです。それで私こっから眺めさして頂きながら、あぁあげんとはもう今から整形手術すればなおるのに、整形手術をせんもんだからいつまでもあげなん見苦しい格好をしとらならんと私が思いよる。そしてその聖徳太子のですね、大きなやつをそっからもう入れちゅうわけ。
 綱つけられてから、まあ綱をつけてあるような感じなんです。ごろごろ引っ張って来たっちゅうな感じです。そしてその太か方その聖徳太子はこうやって尻込みしてから入らんってこう言いよる様な感じの御夢だったんです。面白い御夢でしょう。聖徳太子に綱つけてきた。それがここで信心しておる○○さんだった。その○○さんであると言う事をお互い自分ではなかじゃろうかといっちょ思うてみなければいけません。
 聖徳太子という意味はわかるでしょう皆さん。五千円札やら一万円札についとったあれが聖徳太子です。ね。さあ御造営だというのでその、そういう例えばそのおう聖徳太子を連れて来ようと言う様な意欲は皆が持っておるんだけれどもです、それを強引に連れて来ようとするその人自身がです、ね、聖徳太子を連れて来るにはあまりにもみすぼらしい、あまりにも見苦しい、聖徳太子を連れて来るのに。
 まりにも不釣合いな様子であると言う事。是がまともに例えば、磨く事に改まらして頂く事に、信心を進めていくと言う事の上にです、おかげを頂いておるならば、聖徳太子を強引に連れてこんでも、素直に素直に聖徳太子がついてみえるだろうとこういう事。ほんにしまいにはこう、とうとうてしまいにはお賽銭箱、にきにこうやってもう無理やりに、もうここに座らんのちゅうごたるふうでもう、座らせられるようなその格好でした。面白い夢でしょうが。
 私はもう聖徳太子の動きなさっとは初めて見ましたよ。聖徳太子ああやって大きい障子いっぱいもう上頭天上うたんばかりに大きい。付いて来とるとはこうまか、丁度なんか背虫男かなんかのような感じ。向こうむいたら○○さんじゃん。その願いが願いとしてですたい、ね、矢張り私はその信心が成長してない、進んでない。ね。言わば整形する整形外科でもすればです、又手術でもすればです取り除かれる物をそれと、取り除こうとしてないと言う事だと私思うた。
 昨日ねこんな私あの、そのお取次ぎをさして頂いた。奥さんが熱心にお参りしてきますですね。ご主人はまあ月の内何回かしか参ってこんちゅうような、ご主人の方がどっちかといやあ信心がないとです。所がその昨日一昨日ですか、昨日ですかあの御造営の手紙がね、割り当ての割り当てじゃないて、あの奉納のあれのあれ予定のあれをここに出さなければならん。あのお手紙頂いたからというて夫婦で、まあ一家中話し合ったんですね。そしてこうこうと言うて話し合いをして。
 なら今日明日お供えを持っていけと言うのでお父さんから託ってきたんですねお供えを。で昨日私はべつにそれを建設費とも書いてなからなけれぼ、十三日会会費とも書いてないもんですから、普通のお初穂と思うてからお供えさして頂いたんです。そしてお供えさして頂いてから、私ここにあの神様にお届けさして頂いたらですね、私が頂きますのがね、丁度そののような、ね、奉るという字を大変くずした奉る。丁度奉るという字を半分にしたような字でしょうこれは。
 これやっぱり奉ると読むのは読むんですね。これはもう叢書ですよね。もうくずしにくずした奉るです。だから片一方がこれがないんです。だから○○さん私は今こげなん事を頂いたよ。丁度これが奉るが半分のごたるよと私が言うたら、もう顔を真っ赤にしてですね、その昨日来た方がですよ。先生もう神様にどうすればよ御座いますかというわけなんです。実はただ今お供えさして頂いたのはあの、ご建築費なんですよ。と今度ので昨日主人と話さして頂いて。
 これこれをお供えさして頂こうと言うてから、主人からそれだけの金額を預かってきとってから、ここで半分にしとるお供えを。もうそれなら勿論先生これ私がこれをですね、あの横取りしようと言うのじゃないって。あれを何日間の間に、これだけと書いてあったから、ですねもう主人はもう一遍にお供えせろとこう言うけれども、まあそれを少しずつこう割ってですたい、自分の懐の中に一時でも入れとこごたるわけですたい(笑)そりけその段々段々そのうちに割ってからしよると怒られましたち。
 ほんと先生神様お見通しでございますちゅうてから、また夕べお供えして来なさった人があるんです。あげな事はいけませんよ。後からになると不浄のつくです。ひょっとすると、それば使い込みよるどんするとそげん出来んごとなるですよ。もうそげな事ば主人がみつけどんするとお前どうしてこげんごっもっとるかというふうな事にもなりかねない、そうでしょうが。もうむしろ信心がなか主人の方がおかげ頂いとる、汚いでしょうがする事が、汚いちいうたら可笑しいですけれどもですたいそうでしょうが。
 いわゆる例えば私が今朝からお夢を頂くようにですたいね、ほんと主人がこれだけ信心のない主人さえこの御用だから、しかもこれだけの事をしてくれたのだから、これをお供えさせて頂いて、あとは又いっちょ工夫でもさせて頂いてと言う様な意欲こそ私は本当じゃないだろうかと私は思うのですよ。私が頂くと奉ると言う字ば丁度半分のような感じで頂くから私はそげん申しましたこりゃ丁度奉りが半分くれんごたる漢字で頂いたら、あのこげなふうな、ていうたらそういうて。
 もうほんと先生おかげ落とさんで済みましたというてから、喜んで帰られたんですけれどもですたいね。日頃の信心をどこに、その感じておるのか、言うておるかと言う事になるでしょうがこれを例えばそんなら建設費というだけの事だけではありませんけれども、今朝から頂いたののもやっぱり、そのお互いがですたいね、聖徳太子をこうするしこお供えしたい、1人二人じゃなかもうそれこそ、纏めてでもお供えしたいと言う気持ちはあってもです、聖徳太子の方が地団駄踏んでから嫌といいござる。
 それでもう無理矢理、綱つけんばかりにゴロゴロここえ引っ張ってきたばってん、もう障子んにきからもう入らんちいいござる、ついてきよったが、ほどんこうもしてから見苦しゅしてから、もうまるっきりその、あの背虫男の如してから、汚れこけちからもうとるとこはなかちゆうごたる風にし取るけんで聖徳太子さんは言う事聞きよんなさらんとじゃん。信心な進んどるごたる解ったごたる。
 さあ椛目に何事かといや、そういう風な意欲でも出るくらいな所まで、おかげ頂いとるんだけれどもです、さあ肝心要のおかげを受けられんじゃないかと、背虫男じゃないその、聖徳太子の方が言う事聞きなさらんじゃないかと根。だから本気で信心の御造営が先とこういわれるのもそこの事、もう信心の御造営とは、先ず今まで改められきれ出来なかった所をです、本気でスッキリ改まらして頂いて、ちった痛かかも知れんね、整形手術でもするとか。ね。
 いわゆる切開手術でもしなければ、この癌は取る以外にないと言った様な事かもしれんけれども、取り除かして頂いて後の気持ちがいい、汚れとる所は洗い清めさせて貰う様な気持ちでです。ね、聖徳太子のごつ素直についてきなさるごたるおかげをです、私は頂かせて貰う事によって、お互いがです信心がああ成長したと信心が育ったとね、一段と信心が進んだと言う事は言えるのじゃないかと思うのですね。
   おかげ頂かねばなりません。